私が石巻にいた、震災から1ヶ月のころに、大きな余震があった。
夜、テントの中で眠りについて間もなく、寝床(地面)の下から、
突き上げられるような、衝撃的な揺れを感じて、飛び起きたのだ。
サイレンが鳴って「津波警報が出ました。すぐに避難してください」
とスピーカーが連呼し始めると、それぞれのテントから飛び出した、
大勢のボランティアや近隣の人たちが、一斉に三階建ての
専修大学の建物に避難したのだった。
津波は来なかったのだが、警報が解除されるまでの2時間ほどは、
緊迫した雰囲気で、震災の恐ろしさを垣間見た思いがした。
震度6ということだったが、それほど大きくはないものの、
余震は毎日、何度も、当たり前のように起きていた。
海に近い地域では、地盤が沈下しているために、満潮になると
道路が冠水するし、道路の地割れがひどくなっている地域もある。
震災はまだ収束していないのだ。
私が石巻で感じたのは「被災地は日々変わっている」ということ。
震災が、まだ現在進行形であることもそうだし、一方でガレキの
片付けなどは、少しづつでも進んでいるからだ。
被害が少なかった地域では、営業を再開する店もある。
そんな変わり行く被災地では、災害支援のやり方も、変わりつつある時期にきているようだった。
たとえば支援物資の配布や炊き出しも、再開したコンビニや飲食店などの営業妨害になってはいけないし、
かといって、家や職を失った人たちは、まだまだ物資や支援を必要としているし…。
ボランティアの仕事も、場所ごとの状況の変化に応じて、きめ細かく対応していく必要があるということだ。
ただし、ボランティアの仕事では、変わってはならないことがあるということも、忘れてはいけないと思う。
石巻市内の「石巻焼きそば」という、おばあさんが細々とやっていたお店の、焼きそばが食べたいという、
近隣の人たちの話を聞いて、あるボランティア団体が動き「石巻焼きそばプロジェクト」として、
復興のシンボルにしようという話になったのだが、
その「300食を焼こう!」というプロジェクトの話を聞いて、知り合いになったひとりのボランティアが、
ちょっと、それは違うと言っていた。
奈良県出身で「たこ焼き屋」の彼は、自分の商売柄もあって、おばあさんの話をよく聞いてあげていて、
「おばぁちゃんな、そんなん、やりたないねん」というのだ。
そうなのだ、ボランティアのやるべきことは、あくまでも被災者が望むことの手助けなのだと思う。
手助けがエスカレートして、ボランティア活動という名のイベント事に変わってはいけないと思うのだが…。
被災地と、ボランティアと、これから、どんな風に変わっていくのだろうか…?